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2022 07/29
コラム
ソ連時代のグルジアやウクライナへ

2022/07/20

vol.18


ソ連時代のグルジアやウクライナへ


久下 武男
不動産カウンセラー、不動産鑑定士
有限会社 久下事務所

 

大学を卒業した私は事情があって、地元の中小企業に就職しました。商業高校から商学部に進んだので経理係をやっていましたが、同盟の労働組合もやることになりました。田中角栄総理大臣の列島改造によって3割賃上げ要求も満額回答され、その後のオイルショックによりトイレットペーパーなどが無くなる時代でした。そこで生活協同組合活動をやることになりました。

自動車事故に対しては、自賠責保険金だけではなく、自動車保険を掛けていますが、労働災害に対しては、労災保険金が支払われるだけでした。当時は上積保険を受ける会社がなかったので、創ったのが埼玉の県民共済でした。運営を軌道に乗せるために個人共済も作り、労働金庫から振込できることにしました。生産性向上運動等で繋がりのある長島恭助頭取のご尽力で埼玉銀行でも取り扱っていただくようになり、加入者が拡大しました。その後、全国生活協同組合連合会が認められ、再共済を受けることにより全国に都道府県民共済ができました。

これらの関係者が、ソ連視察に行くことになり参加しました。
昭和52年秋に新潟からハバロフスクへ軍用機に座席を並べたアエロフロートに乗りました。会社にはシベリアに抑留されていた先輩がまだ居て、駅の周りの建物を造らされたので見てきてほしい、日本人墓地に行ってお参りしてきてほしいと頼まれていました。

モンゴル上空を飛びウズベキスタンの石の街であるタシケントに行きました。ここからシルクロードの青の都サマルカンドまで往復しました。ウズベキの子供達は、昭和20年代の日本人とそっくりです。

カスピ海を横断してグルジュアのトビリシに飛びました。ここはノアの箱舟が漂着したアララト山が望め、ブドウ酒が有名です。

ここからバルト海に面したレニングラードに飛びました。ここはピョートル大帝によって建設された帝都で、エカテリーナ宮殿やエルミタージュ美術館があります。ネバ川には日本海海戦(1905年)から帰還し、10月革命(1917年)開始の号砲を放ったバルチック艦隊の巡洋艦オーロラ号が係留されています。

日本で言うと京都に当たるレニングラードからは、奈良に当たるウクライナのキエフに飛びました。ここは東ヨーロッパにおける最古の都市で、聖ソフィア大聖堂や洞窟大修道院があります。

キエフからは夜行列車で、途中チェルノブイリ原発の側を通りモスクワに向かいました。クレムリンの室内まで案内してもらった後、レーニン廟に入りレーニンとスターリンの遺体を見て、スパスカヤ塔や聖ワシリイ大聖堂を望みながら赤の広場を散策しました。

モスクワからは、ハバロフスクを経由して新潟に帰りました。

グルジア(現ジョージア) <国名呼称は、2015年4月以降 ジョージアに変更>

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