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2022 07/29
コラム
満蒙開拓平和記念館の運営に携わって

2021/03/01

vol.09


 

満蒙開拓平和記念館の運営に携わって

 


寺沢 秀文
不動産カウンセラー、不動産鑑定士
株式会社信州不動産鑑定

昭和56年(1981年)に郷里の長野県飯田市に戻って不動産鑑定士事務所を開業してから早いも40年。県南端、人口10万人の小さな田舎町である飯田市や周辺郡部も近年は人口減少、過疎化が進んでいますが、2027年開通を目指して建設中のリニア中央新幹線の長野県内駅が飯田市内に設置予定です。地域の期待も高いものの、しかし全国各地の新幹線延伸地区の中間駅等でも見られるような「ストロー現象」の懸念もあり、しっかりした地域作りをしなければと言う危機感もあります。

また、40年前に帰郷して驚いたこととして、この飯田市、全国的に稀有な例として、近年まで新規借地供給が豊富な地域でした。かつて当地に調査に来られた故稲本洋之助先生(元日本不動産学会会長)も「飯田は借地のガラパゴス」とまで言われました。その借地実態調査をもう40年近く継続しており、その調査結果は地域社会にもフィードバック等しています。
とは言え、私ももう高齢者の仲間入り。そろそろ不動産鑑定士も引退かと思っていますが、私にはもう一つ、ライフワークとして取り組んでいる「満蒙開拓」の調査研究と語り継ぎと言うテーマがあります。旧満州(中国東北地方)にも30回以上自費調査に入る等し、現在、飯田市の隣の下伊那郡阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」の館長も務めています。

「満蒙開拓」、かつて「旧満州」に全国各地から約27万人が開拓移民として渡満し、多くの犠牲を出した、それが故に戦後も「不都合な歴史」として余り語られなかった歴史でもあります。この満蒙開拓団を全国で最も多く送出したのがこの飯田・下伊那地方でした。私の両親も元満蒙開拓団員であり、戦後の引き揚げ後に山麓の開拓地に再入植、私もそこで生まれ、今も暮らしています。
両親たちが体験した満蒙開拓とはどんな歴史であったのか、本業の傍らこれを調べていくうちに、これに関連した記念館等が全国どこにも無いことが判りました。ならば全国で最も多くの開拓団を送出したこの地域にこそその記念館を建設しようと、その言い出しっぺとなり、関係方面等にも働きかけ、足かけ8年を経てようやく平成25年4月、阿智村内に小さな記念館を開館することが出来ました。以来、全国唯一の満蒙開拓に特化した記念館として全国から多くの皆さんにご来館頂き、驚いたことに平成28年11月には天皇皇后(現上皇)両陛下がご来館、当方が御説明役を務めさせて頂きました。記念館も開館8年を過ぎますが、当館は公立等ではなく入館料とご寄付だけが頼りの民間運営です。当方も非常勤のボランティア館長として本業の傍ら頑張っていますが、流石にこのコロナ禍の中で厳しい局面に立たされています。しかし、満蒙開拓の被害と加害の両面に向き合い、その史実の中から戦争の悲惨さ、平和の尊さを次世代に語り継いでいく、この灯は決して絶やしてはならないと思っています。このコロナ禍が収束した暁には、どうか皆様もこの南信州の山里から世界に向けて平和を発信する「満蒙開拓平和記念館」(http://www.manmoukinenkan.com/) をお訪ね頂きたいものと思います。

そして、こうして記念館の建設、運営等にボランティアとして携わっていられるのも、やはり本業である不動産鑑定士の仕事を中心として鑑定評価、不動産カウンセラー業務等でこの地域にお世話になっているからこそです。満蒙開拓平和記念館へのボランティア参画は、地域へのご恩返したる社会貢献事業としても位置づけ、所員にも理解してもらって取り組んでいます。これからももう少しの間、地域と共にある地域(地元)の不動産鑑定士、不動産カウンセラーで在り続けたいものと思っています。

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